日々のお手入れ
あの制服を作ったお話。

日本でいち早く「制服」を作ったタケモト。
創業110年に及ぶ歴史の中には、今につながる思い入れのある仕事が…。
「タケモトだから出来る事」はここから脈々と現在につながっています。

	タケモトの誕生は、創業者の先見の明から。

タケモトの創業者、武本安太郎。16歳の頃、洋裁の修行を始めたことから、「タケモト」の歴史はスタートしました。24歳で生地販売業を開業、そして30歳になった明治44年、洋服の時代が到来することを予感し、熊本の婦人服のオーダーメイドの店「武本洋装店」を開店。当時、洋服を着るのはキリスト教信者ばかりだったため、第一号店は草葉町にある教会の敷地内に構えました。そこから大正10年上通りに移転、昭和6年には店を新築。当時珍しい生地の輸入や洋装教室の開講、現在のボーイスカウトの原点となる「タケモト少年団」の結成など、常に新しいことを取り入れ、チャレンジする精神により、武本洋装店」は熊本の人に広く浸透していきました。

あのセーラー服の誕生が、タケモトの学生服はじまり

昭和初めといえば、「女学生のスタイル=着物に袴」だった時代。そんな中、当時近所にあった「第一高等女学校(現在の第一高等学校)」が「タケモト」へ「制服」の製作を依頼したことから、「タケモト」の学生服の歴史が大きく動き始めました。そのきっかけは、安太郎の娘が「第一高等女学校」に通い始め、「試しに・・・」とセーラー服を作ったこと。その後試作を重ね採用となったのが、今も引き継がれている、白い1本線がトレードマークのセーラー服。「伝統の制服」の誕生です。さらに昭和10年、「タケモト」の更なるチャレンジが、次の課題として挙げられた、夏用のセーラー服製作でした。今では定番ともいえるブルー衿ですが、当時は「日に焼けやすい生地」として夏には使用されていませんでした。しかし、鮮やかなブルーは清楚な女学生のイメージにピッタリ。「タケモト」はその信念を曲げることができず、最終的には韓国に渡り、焼けないブルーの生地を買い付けに成功、念願のブルー衿のセーラー服製作がスタートしました。その後、多くの学校がブルー衿を採用。以後これまで、幾万人とも言える人々に愛される、スタンダードかつ不滅の制服が誕生した瞬間でした。

タケモトの制服が持つ、信頼とパワー

いち早くショーウィンドウを取り入れ、熊本で初めてフロアショーを開催し、九州初のオリジナルLサイズ婦人服をデザインし・・・。洋装の世界でも、時代の先端を見ながら常に挑戦し続け、創業110年を迎えた「タケモト」。だからこそ、ここで作られる学生服も、その歴史からくる信頼はもちろん、いつの時代でも長く愛される、目に見えないパワーを持っています。親子三代同じ制服を着て想い出を語り合ったり、いつまでも捨てられずたまに取り出して想い出にふけったり・・・。着ていた人の学生時代ごと包み込む、「タケモト」の制服。早くは幼稚園から、小中高と12年の時を共に過ごします。身につけることで学校生活が始まり、自分の存在と学校の誇りを示す「学生服」のあり方を、熊本での制服のパイオニアとして、「タケモト」はしっかりと見守っています。